ライティング・スローガン(4) 批判的な記事を書く上で覚えておいて欲しいこと


ある物を批判する、ある人を非難する。そんな記事は痛快で刺激的です。私も批判的な内容を含む記事は数多く書きました。ただし、絶対に守ったラインがあります。それは、「この品物に価値はない、買うべきではない」という結論を下さないことです。これには2つの理由があります。

1つは、「業界があるから、メディアが存在できる」という事実です。例えばゲーム業界であれば、面白いゲームが数多く作られて、ゲームファンが増えて、ゲームが売れることで、初めてゲームメディアが成り立ちます。

そこで「このゲームはクソゲーだ、買う価値はない」などと言えば、そのゲームを買おうとしている人が買い控えてしまいます。たとえ1つの記事が与える影響が僅かでも、その業界を貶めることは、結果的に自分の首を絞めることになります。自分が業界の一員であると思えば、おいそれと批判はできないでしょう。

もう1つは、「何かを批判する先には、必ず誰かがいる」ということです。先の例と同様、「あのゲームはクソゲー」と批判した場合、そのゲームの開発者、関係者はどう思うでしょうか。どんなゲームでも、鼻歌を歌いながら半日で完成したりはしません。何人もの人が、長い時間をかけて作ってきたものです。それを無下にクソゲーと切り捨てられて、関係者は心中穏やかでいられるでしょうか。

「私はあなたのことが嫌いだ」と言うからには、他人から同じことを言われる覚悟が要るということです。批判された方はなかなか忘れられないもの。そんな方と、後に会う機会があったりしたらどうなるでしょう。正直言って、私にはそこに臨む覚悟はありません。

こういう話をすると、「実際ダメなんだからしょうがないだろ、お前はウソを書くのか」という返事がきます。でも決してそうではありません。ダメなところはダメでいいんです。ですが、必ずどこか評価できるところはあります。たとえ自分に合わなくても、老若男女、時と場合によってはアリなこともあるはずです。100%ダメと結論づけるのではなく、そういう可能性を考え抜き、結論はたった1つであってもいいところがあるよね、という提案をするのです。

あらゆる物には、それに関わり、一生懸命になっている人がいます。その方々に思いを馳せて、何を伝えようとしているのかを考えれば、ポジティブになれない物なんてありません。事実、私は10年かかっても、100%ダメなんていう物に巡り合ったことがないのです。目の前の物ではなく、その先にいる見えない人へのリスペクト、ですね。

技術ではなく心意気の話ですが、これは他人の目に触れるものを書く上で、技術よりもずっと重要なことだと思っています。

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