後輩と言っても、私の約10年のサラリーマン人生において後輩ができたことなどほぼないのですが、編集者時代には新人ライターを教育するということがよくありました。そりゃあ大変なこともいろいろありましたが、その中で常に心がけていたことがあります。
失敗しても構わない。でも失敗を次に生かすこと。
なのですが、そもそも経験がないことに対して「何が失敗なのか」がわかりません。教える側はまずこれを理解しておくことが大事だと思います。
だから、やる前に「こういうことはやってはだめだよ」という話を……しません。文字数やレイアウトの制約などの絶対条件は先に伝えますが、それ以外は思うがままやってもらいます。
できあがってきたものがすごくいい、なんてことはめったになくて(稀にあるのは、まぐれです。最初からできる天才は見たことがありません)、必ず直しが入ります。そこで「こういうことはやってはだめだよ」という話を……しません。なぜならこの段階においても、彼らは「何が失敗なのか」がわかっていないからです。
ここで私は彼らに対し、改善案を提示し、元と見比べてもらいます。そうすると、彼らにも何となく「改善案の方がいいな」というのが伝わります。続いて「元と改善されたものと、その差は何だと思う?」と聞きます。すぐにわからなくても、考えて答えてもらいます。当たりもすればハズレもします。ある程度考えて答えが出た後で、私が何をどう考えて改善案を作ったのかを説明します。
考えて、答えてもらった上で、正しい答えを説明するというプロセスが、私は教育においてとても大事だと思っています。最初から答えを提示するのは簡単ですが、それで覚えられるほど頭がいい人は滅多にいません。なにせ私が覚えられません。
でも、1回自分でやってみて、それよりよいものを実際に見せられて、間違いが何かを考えて、答えを出して、それから説明を聞くことによって、「そうか、だから失敗だったのか!」とより深く理解できるわけです。最初から答えを言うのは、「教える」ではなく「伝える」に過ぎないと思います。教えたら、「理解してもらう」ことが大事で、しかも丸暗記ではなく実体験として身に着けて欲しいのです。
このためには、彼らに失敗を強いるという手間と、私にも確認や改善案を提示するといった手間が相当にかかります。それでも、彼らがその後何度も同じ失敗を繰り返し、自分自身が膨大なストレスを抱え込む可能性を考慮すれば、大事なことは体験してきちんと理解してもらうことが重要だと思います。
とはいえこれも完璧ではなくて、私の教え方が悪いこともあるわけです。同じ失敗を2度3度と繰り返されると、「これ前にも言ったよね?」と言いたくなります。しかしその時も頭ごなしに叱ったりせず、改めて改善案を示し、なぜダメなのかを徹底的に理解してもらうように努力します。
本当に何度やってもダメな時には、受け取った原稿に一切赤入れをせずにそのまま戻し、「これを自分で1回読み通してみてください。……面白いですか?」とサディスティックなこともやったりします。本当に何度かやりましたが、これも「自分自身が面白いと思えないものを作ってしまっている」ということを自覚してもらい、一層の努力を促すためのレクチャーとしては大事だと思っています。
常にこれをやるには、相当な根気と、彼らを納得させるだけのプレゼン力、改善案を提示する自分自身に間違いはないと思える相当な自信が必要になります。しかし考えて理解してもらうというスタンスは、ここぞというところではオススメできる教育法です。