2012年8月、震災1年半後の名取川を“歩いて”きました


2011年3月11日の東日本大震災から約1年半が経ちました。東京にいる私は、大きな揺れにこそ見舞われたものの、津波はテレビなどで見る側の立場でした。それで私の震災は終わり……にもできたのですが、日本人として自分の目で津波の跡を見ておきたいと思っていました。ようやく実現できたのは1年半も経ってからですが、被災地の今を見ることも大切だと思います。それも車で現場でヒョイと行くのではなく、自分の足で歩いて行き、その様子を肌で感じたい。そこにこだわって、今回は名取川に沿って歩くことを選びました。

名取川を選んだ理由は2つ。1つは単純に行きやすい場所だから。新幹線が止まる仙台駅は比較的海に近いものの、津波被害はなかったので交通に支障がないのです。2つ目は、NHKの中継で名取川を逆流する津波が映し出されていたこと。あまりに衝撃的な映像だったので、そこを自分の目で見る意味はあると思いました。

さて今回歩いたルートですが、名取川の近くまで電車で行き、そこから川沿いに海のほうへ下るというコースを考えました。出発は仙台駅から南へ2駅の太子堂駅。名取川には近いのですが、海の近くまでは電車が通っておらず、河口までには10km近くあります。そして河口からは海沿いに南へ向かい、仙台空港まで歩きます。これも5kmほどあります。厳密なルートは決めていなかったので、だいたい10kmちょいくらいかな、というイメージで歩き始めました。結果として歩いたルートはだいたいこんな感じ。

道を間違えたり、最後は疲れて手前の駅で妥協したりしています……。以下、歩きながら撮影した写真にコメントを付けながら書いていきます。写真たっぷりなのでごゆっくりとどうぞ。

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太子堂駅です。駅の東側から出て、南へと向かいます。

この辺りは震災の影響を全く感じられません。お店も普通にやってます。

ほどなく名取川に到着。ここから左側、川沿いに下っていきます。

川縁には畑が続いており、暑い中でも熱心に農作業をされていました。

しばらくずーっとこんな感じ。

途中で小さな川と合流するところ。自然豊かで気持ちいいです。

さらに進んで、支流にかかる橋を渡ろうと思っていたのですが……目の前に見える橋は高速道路なので徒歩では渡れません。やむなく2km先の橋まで歩くことに。

スポーツもできる広々とした河川敷。

仙台バイパスにかかる橋を渡ります。そして川の反対側をUターン。

野球の練習をしてます。平和そのもの。

途中の神社で夏祭りの準備をしてました。平和そのもの。

河口から約4kmの場所。田畑が広がっています。

奥に見える橋は高速道路。川には枯れた流木がいくつか見えますが、どこから来たものなのかは私にはわかりません。

高速道路をくぐります。

高速道路をくぐった先。同じような風景に見えますが……田畑がありません。荒地ばかり。

建物の1階辺りが壊れた建物がちらほら見受けられます。

飲み物を補充したいと思っていたところ、下の集落に自販機が見えたので降りてみました。被災地には徒歩で行けるような範囲に店がほとんどないので助かります。

その辺りから海側を撮影。元々は田畑が広がっていた場所だと思うんですが、それにしても不自然なほど何にもありません。ひたすら荒地。

再び土手に上がります。やはり何にもありません。

遠くに自動車屋がありました。これを残しているということは営業中なのだろうと思います。

門でしょうか? これだけが残っています。

名取川の河口近くにかかる閖上(ゆりあげ)大橋です。ここに津波が押し寄せ、トラックが立ち往生している様子が中継に映っていました。橋自体は比較的高い位置にあるおかげか、ほぼ無傷に見えます。

橋の近くの歩道には、衣類やトタンなど、津波の漂着物と思われるものの破片が散らばっています。

ただ後から来た人が捨てていったと思われる、新しいゴミも多数。線香の袋を道端に捨てていくとは、いったい何をしに来た人なんでしょうか。

橋から少し離れて低い位置に向かうと、歩道脇の柵がベコベコに曲がっています。さらに先は柵自体がありません。

橋から少し逸れた道から海のほうへと歩きます。概ね荒地なのですが、ビニールハウスを再建して農業を再開している方も。

「絆」と書かれた札がかけられた畑。側溝はコンクリートが削られるほどの衝撃を受けています。

海岸付近では重機がいくつも動いていました。邪魔にならないよう近づいてはいませんが、あちこちから音がしています。

家々の土台だけがあちこちに残っています。

現状を見ていても、元々は家があったと想像するのも難しいです。

おそらく津波で流されたのであろう車が集めてありました。

川縁に戻って、河口から0.4km地点で撮影。草が生えているし、瓦礫の類も見えないので、津波の痕跡といえるものはあまり見当たりません。

細い道の脇には小さな花がずーっと咲いていて綺麗です。おそらく植えられたものだと思います。

閖上大橋近くにある名取川の看板。よく見るとねじれるようにゆがんでいます。

閖上大橋にある自転車道路の案内図。もちろん震災前からあるもので、今は本来の役目を果たせません。

閖上大橋を渡ります。中継ではさほど大きく見えなかった名取川も、歩いてみると思ったよりずっと大きな川でした。

川の向こうに閖上中学校が見えます。ここもよく報道されていました。

川を渡った先にある何かの工場? 遠くから見ると無傷なのですが、近づいてみると鉄の扉が大きくゆがんでいました。

閖上中学校のすぐ北にある閖上小学校付近。けっこう家があります。

閖上小学校の体育館裏。津波の跡がまだ残っています。学校としてはまだ再開していないと聞きました。

空港方面に向かって県道10号を歩きます。この辺りは家もちょこちょこあるのですが、それと同じかそれ以上に家の基礎部分だけが残っているのを多く見かけます。

家の姿は残しているものの、1階部分が壊れた家もちらほら見えます。

この辺りも田畑は少なく、ほぼ荒地になっています。遠くには船らしきものの残骸も。

何もない場所ですが、瓦やガラスの破片が散らばっており、家があったことをうかがわせます。

歩いていると気づくのが、歩道の状態の悪さ。舗装が破壊され、むき出しの地面になっていたり、草が生えっぱなしになっていたりします。津波の被害を最も明確に残していると感じます。

よくある田舎の風景のようですが、田畑は使われていないし、道も日本にしては不自然なほどボロボロです。綺麗なのは直された車道と電線だけ。

鳥居だけの神社。元がどんな風景だったのかはわかりません。

崩れたまま放置されたビニールハウス。撤去するのも作り直すのも楽なことではないでしょう。

土台が崩れて落ちたままになっている歩道の柵。

しかしそこから道を挟んだ向こう側には、いきなり住宅街が広がります。美田園というこの地域には、新築中の家も多数。メーカーが売り出している分譲住宅のようです。震災前からの計画で、津波の影響も受けたはずですが、今は大変綺麗です。

平屋建てのコンビニがあると妙に安心します。

美田園駅近くには大型の建物も建築中。団地か何かでしょうか。

しかし線路をはさんだ反対側には、仮設住宅が並んでいます。

仙台空港アクセス線の美田園駅。もともと新しい駅で、震災の被害は受けたものの駅舎は綺麗です。

ポケモンのスタンプラリーをやっていました。

8月6日からの仙台七夕祭りが間近で、駅には飾りつけがありました。

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……といった感じで歩いてきました。インドア派の私が真夏の炎天下を朝10時過ぎから5時間近くかけて歩いたもので、最後は足が痛くて歩くのも辛い状態、肌は日焼けで真っ赤になり、服は水をかぶったように汗だくになりました。こういうのは季節と体力を考えてやるべきだと思います。

まあ私の話はさておきまして。仙台市の中心部はとても賑わっていて、震災の影響など微塵も感じられません。そこから少し離れて名取川を歩いていても、海岸にかなり近づくまでは、やはり痕跡すら見て取れません。そして津波に襲われた地域においても、荒地は広がっていますが、津波の衝撃を目の当たりにするようなものはほとんど残っていません。

震災の跡を見に行ったという目的からすれば、行くのが遅すぎたのかもしれません。しかしクタクタになりながら歩き終えて、私はとても満足しました。

まず、津波被害を受けた閖上地区などを、自分の目線で見られたこと。震災後は、大地震が来たら高台に逃げろと散々聞かされましたが、写真で見ていただければわかるとおり、この辺りは仙台平野で、高台と呼べるような地形がまるでありません。逃げるなら頑丈で高い建物しかないのです。

ただ平野であったおかげで津波の潮位は比較的低かった(港湾部、あるいはリアス式海岸のほうが津波はずっと高くなる)ので、かなり奥地まで遡上はしたものの、学校に避難した人たちは多く助かったということのようです。もし私が今後、大津波に見舞われるような時には、この目線が大いに役立つと思います。

そしてもう1つの満足は、“一面の荒地しか見られなかったこと”です。津波であれだけ徹底的に破壊されたにも関わらず、1年半ほど経った今は、津波の瓦礫がまるで見当たらないのです。当時の報道写真などを見れば、辺り一面が膨大な量の瓦礫で埋め尽くされているのがわかります。しかし今は、住宅地だけでなく、広い田畑などに流れ着いた瓦礫すらも、ほとんど残されていないのです。

いったいどれほどの人が、どれほどの努力で、たった1年半でこの“一面の荒地”が見えるまでにできたのか。それを想像するだけで感動を覚えます。それに塩や油をかぶったであろう田畑で農業を再開する人々や、再びそこに住まうべく建てられている新築の家からは、復興の確かな足跡、なんていう生ぬるさではなく、今すぐ立ち直るんだ! という気迫と覚悟が感じられました。

今更私に何かできるようなことは見当たりませんでした。こうして旅をする分にはもう何も困らないくらい復興が進んでいます。被災地で作られた特産品を現地で買う、なんてことも近々可能になるでしょう(既にあるのかもしれませんが)。ぜひそういうところに、遠慮なく楽しむための観光へ行ってもらえたらいいなと思います。できれば車で見て回るだけでなく、少し歩く時間も取ってみてください。

でも現地の方の邪魔にならないよう、工事や作業の現場にはあまり近づかないようにしてください。ゴミのポイ捨てとかは論外です。同じ日本人として、復興に全力を注ぐ被災地の方々に尊敬の念を抱きながら旅を楽しんでいただきたいです。

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