田舎町は自らの魅力に気づかないまま死ぬかもしれない


地方を盛り上げたい的な話はSNSでもよく目にする話題なんですが、それを聞くたびに私は実家がある滋賀県北西部、高島市というド田舎のことを思います。

滋賀県は琵琶湖を中心に、南と東は新幹線が通っていてそこそこ栄えていますが、西と北は言ってしまえば「滋賀県には不要な地域」です。大した産業もなければ、観光資源があるでもなく、京阪神へのアクセスも1時間に1、2本しかない鉄道くらいで、県南東部の方が圧倒的に便利です(南部は京阪神地域のベッドタウンとして人気です)。

しかし猛烈な過疎というわけではなく、人口はごく緩やかに減っている程度。郊外型の大型スーパーなどの出店があったりして日々の買い物には困りませんし、通販も便利な時代だけに、生きるのに不都合はありません。

ゆえに地元に住む人々からは、「今のままでいい」という空気を感じることがあります。変に今の環境を壊したりせず、このまま田舎でのんびりと暮らしたい。人口がどんどん増えて便利な街になって欲しいとまでは思わない、と。

しかし、私のように外に出ている者から見ると、「今のままでいい」という考え方は非常に危険だと感じます。人口としては50年間にわたってほぼ横ばいですが、小学校の児童数を見ると、私が通っていた30年ほど前と比べておよそ6割。総人口が変わっていないのに、子供の数は6割になっているわけです。これだけでも「今のまま」が続かないのは明白です。

またこの30年の間に、個人商店の多くが閉店しています。駅前のアーケード付きの商店街はほぼシャッター通りですし、他の地域も言わずもがな。駅から離れた大通り沿いに大型スーパーなどの出店があったことも影響しているとはいえ、個人商店の売上が大幅に落ち込んでいるのは確かです。私の父は今も飲食店を経営していますが、それまでの経営努力もさることながら、他店が閉じたことによる残存者利益が大きいように感じます。

これが続くと、人口減から店舗がさらに閉店していくのはもちろん、税収が落ち込み公共インフラが維持できなくなっていきます。また地理的に大都市間の経由地でもないため、民間のサービス業も規模を縮小していくでしょう。簡単に言えば、電気や水道、道路を維持できなくなり、宅配便も即日配達してくれなくなるような時代が、そう遠くありません。それ以前に、働く場所もなくなって、嫌でも都市部に出ることになるかもしれませんが。

特に産業も魅力もない田舎町が「今のまま」を維持するには、相当な努力が必要です。まずそれに気づくことが第一。

そして産業を興すのは相当な苦労がありますが、魅力に関しては実は既にいろいろあります。高島市で言えば、琵琶湖の北西部は水が綺麗でウォータースポーツに適していますし、山も近くてスキーやトレッキングもできます。春には琵琶湖岸に桜が咲き誇る名所がありますし、美しい湧き水を活かした生活を営む集落もあります。

これらはどれも観光資源としてとても優秀なのですが、実は地元の人々はそれほど価値を感じていません。彼らにとっては「今のまま」に含まれる、当たり前にあるものだからです。自分の魅力を知るには、他人を知らないとわからない……という単純な話です。ずっと一所に住み続けている人には、地元の良さは意外とわからないものです。

また自分達が良いと思っているものは、意外とどこにでもあるものだったりもします。田舎の魅力を語ってもらうと「自然豊か」を売りにするところが多いですが、田舎はどこでも自然豊かです。自然にも色々ありますから、そこにしかない自然の魅力を語らねばなりません。

私が将来、高島市に戻るかどうかはわかりませんが、できれば故郷としてあり続けて欲しいと願います。そのために、都市部へのアクセスを良くしてベッドタウン化……という寄生的思考が難しい以上、それ以外の価値を見出して発信していくのが常道です。果たしてそれができる人が高島市にいるのかどうかが心配ですし、できれば私がやりたいくらいではあるのですが。

高島市は琵琶湖による地理的特異性はあるにせよ、「他所に必要とされない地域」は日本各地にあると思います。そういったところはどこでも似たような課題があり、自らの魅力に気づかないままだったり、正確に発信できていなかったりするはずです。どこにでもある似たような田舎ではなく、それぞれに特色のある、存在意義のある田舎になって欲しいと願います。

田舎町を盛り上げたい、という話を聞くたびに言いたいことをまとめてみました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください